長谷川造園事務所

2012年 2月

新・作庭記 丸山健二 文藝春秋 1714円+税 2009年5月発行 ISBN978-4-16-371380-9

作家がいかにして、庭作りに狂っていったか。克明に書き綴っています。おばちゃんたちの、ガーデニングを批判する。ガーデニングは作庭ではないと。返す刀で、現代の庭師たちを罵倒する。「腕のいい庭師が揃っていて、見てくればかりの形式主義に凝り固まった庭園しか見かけないのはなぜだろうか。日本庭園は、がちがちの形式主義に陥り、単に造形美を云々するばかりとなり、そして後退を始めたのだ。」造園業を営む者としては頭の痛くなる事が多々書いてあります。

本多静六自伝 体験八十五年 実業之日本社 2006年発行 1000円+税 ISBN4-408-39586-2

彰義隊遺聞 森まゆみ 新潮社 2004年発行 1600円+税 ISBN4-10-410003-X

けふは二冊です。「彰義隊遺聞」を読んでいたら、彰義隊結成を企てた本多晋といふ人が出てきました。足を怪我して当日上野山内に入れなかったので生き残って、維新後英仏独に渡り、上野東照宮宮司となっています。この人の娘婿が本多静六博士です。

「本多静六自伝」では首賭けのイチョウの事がのっています。日比谷公園建設の時、日比谷見附内にあった大銀杏の移植について、星亨と本多博士が論争したのです。大銀杏を移植してはたして活着するかどうかと議論を闘わし、本多博士が首を賭けても活着させると断言し、結局博士のほうが勝ったといふ曰くつきのものである。この大銀杏は、樹高22m、幹回り6m、樹齢400年といふものです。

 

安藤太郎さんの想い出

安藤造園事務所にいた時、川端康成の家にカツラを植えに行きました。「自然と盆栽」といふ雑誌があり、それに安藤太郎さんが関与していました。その雑誌の代表は文学者然としていました。「自然と盆栽」に賛同している人々も文学者が多かったやうに思います。その関係で川端邸に行ったのだと考えます。川端邸は北鎌倉だったか、細い狭い道を入っていきました。家は和風の数寄屋造りで、まわりは建仁寺垣だったとおもいます。残念ながらこのとき、川端康成は自殺したあとだったのです。出てきた奥様はどこかで見たやうなおばさまでした。本当にどこにでもいるやうなおばさんです。デジャブー感たっぷりの奥様です。帰りの車の中で、安藤太郎さんがいひました。「どこかで見たやうなおばさんだなあ。」と、、、、

鎌倉の庭園 鎌倉・横浜の名園をめぐる 宮元健次 神奈川新聞社発行 2007年4月26日初版ISBN978-4-87645-399-3  1500円+税

鶴岡八幡宮の若宮大路(段蔓)が二十七度ほど東へふれている、といふことです。由比若宮(本八幡)、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居、鶴岡八幡宮、今泉不動尊、浅草寺、筑波山を結ぶと一直線になる。

安藤造園事務所にいたとき、三の鳥居の右側にあった鎌倉彫の店に、仕事で行きました。店の前の花壇に季節の花を植えるのです。休憩の時、鎌倉彫のお盆にお抹茶と甘いお菓子をのせて出してくれました。なにやら優雅なひと時でした。いまでも、お客さんのところで鎌倉彫のお盆がでると、その当時を想いだします。

K島君のこと

安藤太郎さんの事務所で何か月か働いていました。すると新人が入ってくるといふのです。相模原の人で、飯田十基師の所へ行ったが断られたさうです。私より二つ三つ年下でしたが、高校を出てすぐ造園会社に入っています。ですから現場の経験は私より豊富です。そのせいか私のことを「長谷川君!」とよんでいました。落語家の世界では一日でも早く入った先輩を兄さんとよびます。K島君にはさういふ所はありません。自分の方が経験豊富ですからね。K島君は安藤造園事務所にはあきたらず、相模原のO造園に移りました。そこにも満足できず、最初の目標である飯田造園事務所をめざします。飯田造園事務所に行くと、府中のT植木で二年間修業すれば入れてあげるといふ事です。K島君はT植木で古参の職人と植木畑を回り、地堀りの修業をしていました。そしてK島君に不運が訪れます。飯田十基師が逝去したのです。昭和52年六月二十二日の事でした。

安藤太郎さんの思い出

安藤太郎さんは神奈川県藤沢市善行で造園事務所を開設していました。その当時(昭和48年)安藤さんは三十代ではなかったろうか。奥さんは年上のやうでした。小学生の息子が二人いました。三菱ギャランに乗り、トラックはキャンター、ワゴン車のデリカ。全部三菱社製です。善行団地に住み、信仰はクリスチャンのやうです。

雑木と雑木の庭 ガーデンライフ別冊デラックス版 昭和50年発行誠文堂新光社 2800円

久しぶりに本棚からひっぱり出して来ました。飯田十基師の自宅の庭がのっていました。写真があります。この庭が壊されていました。現在の飯田邸を見ますと、何かが、欠けています。正面向かって左側の造園事務所のあったところです。その部分は今、隣の家になっています。コンクリートの家が建っています。

本に戻ります。小形研三師の庭がのっています。なつかしや、安藤太郎さんの庭もあります。横浜の太田邸です。いまはどうなっているのでしょうか。

この本の表紙は京王プラザホテルの前の植え込みです。いまこのナラの木はだいぶ太くなっています。

茶道に憧れる 茶道心講Ⅱ 岡本浩一 著 淡交社 1800円+税

茶道に本勝手と 逆勝手があるといふことです。武道の技にも右と左があります。右ができれば自然と左も出来るやうになります。私も合気道をやっていますが、左になるとまごつきます。まず、基本の右が出来れば良いのです。

茶道での茶杓の使い方は弓道に似ているといひます。歩き方はすり足ですし。武道の要素が茶道には入っていると考へます。

飯田邸の前の坂を行くと右へ行く坂道があります。その道を甲州街道へと歩きます。ある家の前で私はピンときました。この玄関は飯田十基師の作品だと。家に帰って調べますと、やはりさうでした。小山田邸でした。まだ初台に残っていたのですね。

会社案内

長谷川造園事務所

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代表 長谷川満男
一級造園技能士

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