K島君のこと
安藤太郎さんの事務所で何か月か働いていました。すると新人が入ってくるといふのです。相模原の人で、飯田十基師の所へ行ったが断られたさうです。私より二つ三つ年下でしたが、高校を出てすぐ造園会社に入っています。ですから現場の経験は私より豊富です。そのせいか私のことを「長谷川君!」とよんでいました。落語家の世界では一日でも早く入った先輩を兄さんとよびます。K島君にはさういふ所はありません。自分の方が経験豊富ですからね。K島君は安藤造園事務所にはあきたらず、相模原のO造園に移りました。そこにも満足できず、最初の目標である飯田造園事務所をめざします。飯田造園事務所に行くと、府中のT植木で二年間修業すれば入れてあげるといふ事です。K島君はT植木で古参の職人と植木畑を回り、地堀りの修業をしていました。そしてK島君に不運が訪れます。飯田十基師が逝去したのです。昭和52年六月二十二日の事でした。