「建築史的モンダイ」藤森照信 ちくま新書 ISBN978-4-480-06429-5 740円+税
建築探偵である藤森氏のモンダイ本です。鉄筋コンクリートは植木屋の発明だった。1849年フランスの植木屋のおやじジョゼフ・モニエが鉄線入りの植木鉢を作った。日本では、昭和初期、徳島の庭師三河義行がコンクリをこねて、岩山のやうな離れや犬小屋を作った。植木屋もやりますね。
コンクリの打放しについても書いています。フランスの建築家オーギュスト・ペレが打放しコンクリートの父であった。1923年パリのル・ランシー教会が打放しの始めです。そのあとに続くのが、アントニン・レーモンドです。前にも書きましたが、レーモンドはフランク・ロイド・ライトのスタッフとして、大正八年、帝国ホテル建設のため日本に来ています。ホテル建設途中にライトと喧嘩して日本で独立します。その事務所にいたのが杉山雅則氏です。私長谷川満男は1990年頃杉山邸において庭の仕事をしていました。
藤森氏は杉山氏にインタビュウしています。
”そのころおやじは渡欧してペレの事務所を訪れ、よほど感激したらしく、帰国してからしきりにそのことを話してくれた。そしてペレの事務所にいたチェコ人のフォイエルシュタインを日本に呼んだ。”(注;そのこととは、打放しコンクリートのことです。)
1924年レーモンドが自邸を打放しコンクリートで作る。レーモンドの自邸を担当したのが杉山氏です。これが日本初の打放しです。さういへば杉山氏の自邸も打放しでした。
1932年ペレの弟子ル・コルビュジエがスイス学生会館を打放しで作る。
戦後レーモンドの弟子前川國男や、前川の弟子丹下健三が打放しをやる。そしてその後に安藤忠雄が出てきます。
余談ですが、レーモンドは第二次世界大戦中はアメリカに帰っています。その時アメリカ軍の要請で、砂漠の中に実物大の日本の下町を作っています。そしてどのやうに燃えるか実験しています。それがあの下町の大惨事になるのです。
戦後レーモンドは日本に戻っています。建築家としての生涯を日本ですごしています。どのやうな思いだったのか。
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